公益社団法人 日本精神神経学会

English

見解・提言/声明/資料|Advocacy

テーマ3: 精神分裂病から統合失調症へ―疾病モデルと用語の変遷

更新日時:2015年1月28日

監修: 日本精神神経学会 前理事長
東北福祉大学大学院精神医学教授 佐藤 光源

[テーマ3] 精神分裂病から統合失調症へ

国立精神・神経精神センター精神保健研究所
成人精神保健部部長
金 吉晴

統合失調症は、かつては早発痴呆とか、精神分裂病と呼ばれ、基本的には治りにくい病気であると考えられていた。 この病気に有効な治療薬が発見されたのは、1950年代である。それ以来、患者の治療と社会復帰は容易となり、先進各国においては地域に おける医療の推進が求められてきた。しかしながら、日本を始めとする一部には、まだ旧来の不治の疾患であるとのモデルが根強く残り、 患者の社会復帰を妨げ、入院の長期化につながってきた。
現在では各種の治療薬が開発されるとともに、社会復帰のための支援システムが 整備されつつあり、この疾患へのイメージが急激に変貌しつつある。以下では、この疾患の治療モデルの変遷を歴史的に振り返り、 併せて名称変更の意義について述べたい。

道徳療法の時代

現在の統合失調症に相当する病態が明確に記述されたのは、1899年のドイツのクレペリンの「早発痴呆」が最初であるが、 すでにフランス大革命において精神病患者を鎖から解き放ち、人道的に処遇するという革新がなされていた。 「人間は人間らしく扱えば人間らしくなる」という主張のもとに進められた処遇の改善は、実は症状の改善にも大きな効果があることが分かり、道徳療法として、 当時の医学雑誌の巻頭を飾るほどに世間の注目を集め、英、仏などに急速に普及した。内容は、教会などのゆったりとした建物に患者を住まわせ、読書、作業、 ティータイムなどから成る日課を与えるというものである。しかし19世紀中頃から、ダーウィンの進化論に影響された変質学説がフランスを中心に盛んとなり、 患者は進化の袋小路に入った者たちであるとの見解が社会に広まり、「同じ人間として扱う」ことへの熱意が急速に薄れた。また、この制度の維持に多額の経費が かかったことも、衰退の一因となった。

早発痴呆の時代

19世紀後半から20世紀前半は、大学精神医学の時代である。これは単に大学で医学研究が行われたというのではなく、大学に長期入院施設ができ、そこに入院をさせた患者についての研究が盛んに行われたということである。フランスではそのような病院としてパリにサルペトリエール病院が1つできたにすぎないが、ドイツでは各州に1つの大学病院ができたために、研究の拠点が数十にも上り、大学精神医学の花形となった。しかし、生活の場から切り離して観察するという設定自体が、上記の道徳療法のあり方に逆行しており、患者の経過に影響を与えた可能性もある。また、重症で予後の悪い患者が残りやすいというバイアスもある。このような背景の上に作られた早発痴呆の概念は、若年期に発症して進行性に痴呆化するというものであった。しかしその当時、経過を観察する際に行われていた治療は、非常に貧弱なものである。水治療、拘束、矯正などであり、精神機能を直接改善するような投薬はない。進行性の予後不良という概念は、こうした時代のなかで作られたものであり、当時から疑問が出されていた。クレペリン自身も晩年には、予後不良の経過については否定している。

スキゾフレニア=精神分裂病

1908年にスイスの精神医学者ブロイラーが「連想分裂も持った精神障害のグループ」として スキゾフレニアschizophrenia(ドイツ語ではSchizophrenien)を提案することによって、早発痴呆という名称は廃止された。ブロイラーは連想機能に対して精神療法を行うことによって治療が可能であると考えており、その意味で、この名称は治療的な期待を伴っていた。しかしながらドイツ語圏では、名称は変わったものの、病気のモデルとしてはなお早発痴呆の影響が強く残っており、その事情は日本でも変わらなかった。「精神の分裂」という翻訳が受け入れられ、その後も使われてきたのは、この病気に対するこうした悲観的な印象が背景にあったものと思われる。  ブロイラーの言う連想機能の分裂とは、「太陽」と「暑い」といった、通常ならば連想で結びついている考えが切り離され、その代わりに「太陽」と「牛乳」のように、普通では見られにくい連想が生じることである。こうした連想の乱れを基にして、思考の道筋の曖昧さ、引きこもり、正反対の感情を同時に抱くこと、などを基本的な症状であると考えた。しかし、連想の分裂が本質であるという考えは、ドイツを始めとする医学会には受け入れられず、また、基本症状を用いて診断した場合には、あまりにも広い患者を診断しすぎるという批判も生じた。  ドイツのシュナイダーは、この病態は自我の境界がもろくなっていることに原因があると考えて、それを反映する特殊な形の幻覚、妄想を抜き出し、一級症状と名付けた。考えが吹き込まれる、身体を操られる、などである(「テーマ1:統合失調症とは何か―診断基準の説明」を参照)。こうした症状が1つでもあれば、診断が可能であると考えた。その診断方法は、今日の米国精神医学会による DSM-・、WHOによるICD-10に引き継がれている。  その後、診断基準は各国による相違が大きくなり、とくにヨーロッパと米国での食い違いが問題となった。そこで研究、治療のための統一基準として、1980年に米国精神医学会のDSM-・が制定され、改訂されて今日のDSM-・に至っている。これは、幻覚、妄想、強い思考障害、行動の障害、陰性症状のうち、少なくとも2つが1カ月以上続くことによって診断を下すというものであり、シュナイダーの考えを受け継いで、急性期の症状に重点を置いたものとなっている。DSM-・とならんで国際診断の標準となっているICD-10でも、ほぼ同様の考えが受け継がれているが、症状の個数によって機械的に診断を下すという方法はとられていない。また、ブロイラーの基本症状に相当する症状だけで診断を下す可能性も認められている。

治療の進歩

1952年にクロルプロマジンが、1958年にハロペリドールが治療に導入されて以来、統合失調症の臨床は劇的に変化した。これまで難治と思われていた幻覚、妄想、興奮などが治療可能となり、患者は服薬しながらの通院、地域での生活が可能となった。先進諸国はこの時期に、入院収容主義から地域医療へと方針を転換し、日本も本来ならばそれにならうはずであった。実際、英国の地域医療モデルを導入し、精神衛生法の改正が計画されたのだが、ちょうどその時期(昭和39年)に、統合失調症の青年が時の駐日米国大使であるライシャワー氏を刺傷する事件が起こり、行政は社会防衛のための収容主義へと方針を転換し、収容型の精神病院が増加した。  それ以降、投薬を基礎とした治療は飛躍的に進歩し、諸外国では地域医療が発展した。たとえば英国の地域医療では、1カ月に1度の注射で済むデポ剤が、訪問看護婦によって定期的に患者に投与され、地域での生活を可能にしている。とくに最近では、非定型抗精神病薬の導入により、これまで課題とされていた、慢性的な意欲の低下や引きこもりに対しても治療効果が上がるようになった。こうした薬物療法の進歩は、地域精神医療をさらに推し進めている。  心理社会的な治療、支援の整備も進んでいる。家族に対する心理教育やサポートが、患者の状態像の改善や再発率の低下につながることも見いだされた。また、急性期病棟から自宅、地域に戻るまでの間に種々の治療、滞在施設を用意し、その後も訪問活動を続けることによって、患者の社会生活の支援が可能である。日本でも、近年、この種の支援施設は飛躍的に拡充されている。

現代医学と統合失調症

統合失調症の厳密な原因は不明であるが、少なくとも症状の発現には脳内の神経情報伝達物質が関与していることは明らかである。ある種の脆弱性と環境要因との相互作用の結果、特定の神経回路が過度に賦活された状態が基盤となっている。たとえばアレルギー疾患において、素因にアレルゲンが加わり、特定の免疫反応が生じることと、あまり変わらない。異なっているのは、症状が精神活動そのものを冒すために、「精神、人格が変わってしまった」と思いやすいことである。しかし、以前はてんかんの発作も同じように考えられていた。発作の神経学的な基盤が明らかとなった現在、てんかんを精神や人格の病気であると考える者はほとんどいない。統合失調症についても、医学は同じ流れに進んでいる。  統合失調症の治療成績は、非定型抗精神病薬が登場する以前の長期追跡研究によれば、非常に良好な予後が20~30%であり、部分的な寛解を合わせると70%を超える。他方で不良な予後の群は20~30%である。この数値は、決して全ての患者に楽観を許すものではないが、肝炎などの多くの身体疾患と比べて、とくに不良というわけではない。また、非定型抗精神病薬を病初期から用いることによって、この数値は改善する可能性がある。また、統合失調症とは、単なる状態像によって定義をされているので、背景にある「真実の疾患」が明らかになれば、再分類、定義をされることになろう。その場合は、治療成績の数値も変わるはずである。  現代医学において、統合失調症とは数多くある病態の1つにすぎず、ことさらに悲劇的な表現をする必要はなく、適切な診断、治療、リハビリテーション、支援を行うことが求められている。難治例があるのはどの疾患にも共通のことであるが、新しく発症する患者の多くは治療によって改善したと感じ、社会生活に復帰している。こうした当たり前の治療を進めるためには、患者に情報を十分に開示し、ノーマライゼーションに向けて自己決定権を尊重する必要がある。そのためには誰にでも使いやすい病名を用い、十分な情報の交換ができるようにする必要があった。  統合失調症とは、こうした現代的なごく普通の医療を行うために変更された名称である。失調とは、一時的に調子を崩したもので回復の可能性があることを示唆している。調子を崩した状態が、その人の回復不能な精神の特徴であるかのような表現は、もはや受け入れられない。もちろん、病名の変更は単なる出発点であり、今後の治療の内実をこの名称にふさわしいものに変えていく必要があることは言うまでもない。

第12回世界精神医学会横浜大会で日本精神神経学会が提案し、WPA総会にて採択された『WPA横浜宣言』(2002)

『WPA横浜宣言(WPA Yokohama Declaration)』

日本精神神経学会は、
- アジアをはじめ世界のどこにでも、適切な診療を受けていない精神疾患患者が多数いることを知り、
- 国連119号決議において、精神疾患患者の人権を認め、かつ適切な医療を享受することが人権に含まれるとされていることに鑑み、
- 精神保健に焦点を当てた2001年版世界保健報告書(WHO)に記載されているように、アジア太平洋地域やアフリカの諸国の半数以下でしか精神保健政策が施行されていないことを極めて遺憾とし、
- 精神保健問題における教育やトレーニングが不十分で、現行の科学的知識が十分に生かされていないことを認識し、
- さらに、世界精神医学会(WPA)の第12回世界大会がアジア大陸で初めて、ここ日本の横浜にて開催されることを考慮して、

WPAの全加盟国、特にアジアの加盟国に対して以下の点を勧告する。即ち、

  1. 自国の精神疾患患者に適切で包括的な治療を付与するように全力を注ぐこと。これは、最良の転帰を患者にもたらすべく、薬物療法と高度な心理社会的介入をバランスよく取り入れた治療を提供することであり、また施設的な観点や精神保健スタッフと患者との関係を含めて、人間的な治療環境が促進されることを意味している。
  2. 疾患に関わらず、患者が最高の生活の質(QOL)を得られるように、精神疾患患者がリハビリテーションを受け地域社会で生活していく権利を勝ち取ること。
  3. 全ての国、特に開発途上国にとって有効な変革のために必要な手段として、精神保健政策や精神保健関連法の法制化、および国家レベルの精神保健プログラムの展開に貢献し援助すること。
  4. 精神保健問題に関わるトレーニングと教育の改善に積極的な役割を果たし、若手精神科医の教育に特別な配慮をすること。
  5. 地域の全構成員が、疾病による患者や家族の負担を軽減するために努力することを明確にすること。患者、家族、地域内担当者、政策決定者、保健産業界、報道機関や、他の社会的圧力(集団)におけるパートナーシップが、そうした努力を持続的に果たしていくために重要であることを認識し、これを絶えず探求していくべきであること。
このページの先頭へ