公益社団法人 日本精神神経学会

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再犯予測について(精神医療と法に関する委員会報告)Ⅰ.再犯予測の問題点(委員会報告要約)

更新日時:2015年2月24日

平成14年9月20日
社団法人 日本精神神経学会
精神医療と法に関する委員会
委員長:富田 三樹生
執筆委員:吉岡 隆一(Ⅰ・Ⅱ)、大下 顕(Ⅲ)

Ⅰ.再犯予測の問題点(委員会報告要約)

一般的背景

 北アメリカ(カナダ、アメリカ)を中心にして精神障害者の危険性・リスク評価や再犯予測問題が研究されてきた。その契機となったのは70年代初頭から80年代にかけて、危険性の判断の元に長期収容された精神障害者の追跡研究から、精神科医の危険性予測に関する能力が疑問とされたことにあった。
 後続研究が、精神障害者個人に属する不変な「危険性」という概念を多因子に影響され変動する「暴力のリスク」概念に置き換え、保険数理統計的手法を用いることによって、予測の精度は、以前ほど悪くはない、偶然よりはまずまずましな程度の(moderately better than chance(33))高さに到達したといわれている。

リスク評価の枠組み

 一定のサンプルの一定の期間中の定義された結果の出現率(ベースレート)に対して、関連すると考えられる因子を研究することによって、ある母集団に対するリスク評価法・予測法が考案される。こうしてえられたリスク評価法・予測法は、サンプルとかけ離れた対象集団に対しては適用できない。リスク評価・予測法は、ある患者が属するグループが、予測期間中どれだけの結果の出現率をもつかを予測する。

本法案の要求する再犯予測

 本法案は、心神喪失心神耗弱の状態にあったと主として検察官が決定したものに対する、長期的見通しの期間のうちでの、精神障害に起因する身体生命にかかわる再犯の予測を精神科医に要求している。
 予測法の適用が考えられているのは、検察官が心神喪失・心神耗弱と判断した精神障害者の一群である。その判断の問題は理事会声明はじめ多くの団体が指摘している。 本法案の予測期間は、法文上は、現在の措置入院における現在の自傷他害のおそれの判断とは異なった、長期の将来にわたっていると考えられる。文言上、期間を限らずに「心神喪失または心神耗弱の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれ」の有無が判断されることになっている。退院許可の申し立てが本人側からは処遇開始後3ヶ月不可能(50条)であることも、それを示す。(措置入院では翌日でも不服申し立てが可能である。)
 予測すべき結果は重大犯罪再犯である。より厳格に言えば、心神喪失ないし心神耗弱が再び認められるであろう重大犯罪再犯である。 ところが、アメリカ教科書(Kaplan&Sadok :Comprehensive textbook of psychiatry.2000)では、精神科医の長期予測は、累進的に不正確となるとされている。

第154国会の審議における再犯予測

 国会審議中の議論では、リスク評価の枠組み、特に予測期間はあいまいにされている。予測期間を明示しなければ、出現する再犯のベースレートは算出されない。
 したがって予測法は見出されえず、リスクの高低を論じることはできない。 古田刑事局長は法務委員会厚生委員会連合審査会(7/5)で「特に一定の期間を定めてその間の予測をするという風なものではございません」「短期的とか長期的ということにつきましてはそういう風な期間との関係で判断するものではない」と述べている。期間を問題にしない予測は、リスク概念から危険性概念への逆行を意味する。
 坂口厚労相は法務委員会厚生委員会連合審査会(7/5)で本会議での答弁(措置要件=短期的予測と本法案の再犯予測=長期的予測の区別)を実質上修正し、本法案の予測は長期期間の予測ではなく「目の前の症状だけでおそれの有無を判断するものではない」趣旨であると述べた。目の前の症状か(もっと詳しい資料に依拠するか)どうかは予測因子の問題であって予測期間とは別な事柄であるから、この修正は混乱している。
 森山法務相は措置要件と本法案の再犯予測は「病状により一定の問題行動が引き起こされる可能性があるかどうかを判断する」ので基本的な部分に違いがないと述べている。違いがなければ法の文言が異なる理由はない。 川本参考人はある医師の意見として「確率的な危険性の判定はできる」と述べているが、予測期間とベースレートを明示しないでは確率は無意味である。

国会審議に登場するベースレートと思しき数値には池原参考人の援用する犯罪白書で6.6%、中島参考人の援用する精神科医の研究で7.1%などがある。この%はある期間中で計測されており、その計測期間がありうべき予想期間となる。どちらも年余にわたる追跡期間のデータに基づいた長期予測にほかならない。どちらにも制約がある。池原参考人の依拠した犯罪白書の統計は、当該違法行為の過去10年以内の前科前歴(すなわち以前受刑=責任能力ありの場合をも含んで)を拾った回顧的なものであり、中島参考人の依拠したデータは重大犯罪の再犯であることが確かには読み取れない文献に依拠したものである。これらの制約を含むデータを利用するとして、ベースレートは7%である。
厚生労働省が全国精神病院労組協議会との交渉で示した再犯予測に関する参考文献(35)は長期予測における妥当性を問題にしている。

今日の精神医学界におけるリスク評価のなされ方・枠組みをまったく顧慮せず、予測の性格をあいまいにして、一方で精神医学界のリスク評価の進展を強調する議論は奇妙というほかない。

精神障害と暴力および再犯の研究

 近年の精神医学界における暴力や再犯に関するリスク評価研究からは、暴力や再犯に関係する予測因子として犯罪歴や若年、男性、薬物乱用などが大きいことが確認されてきた。一方で精神医学的因子、特に統合失調症や気分障害などが暴力や再犯に与えている影響は少ないことも明らかにされてきた。(Bontaほか 精神障害犯罪者での刑事的暴力的再犯の予測:メタアナリシス アメリカ心理学会 Psycological Bulletin123:123-142.1998(27)、Steadman HJ,Mulvey EP,Monahan J,et al:急性期精神科病棟退院者の暴力とその近隣の者による暴力: Archives of general psychiatry55:393-401.1998(12)) リスク評価研究のうちから暴力や再犯に関する予測法が発表されてきた。予測は一定以上のベースレートを持つ集団に対してのみ可能である。暴力再犯に関するものとしては例えば、カナダではViolence Risk Appraisal Guideが発表されている(16)。予測には精神病質チェックリスト(改訂版)高得点、16歳未満での両親からの分離、未婚、初等教育での不適応、以前の仮釈放での失敗、財産犯歴、当該犯罪での若年、アルコール乱用歴、DSM‐Ⅲ人格障害の診断(以上が正相関)、当該犯罪での犠牲者の傷害、当該犯罪における女性の被害者、統合失調症の診断、当該犯罪時年齢、(以上が負相関)が用いられる。
 一般の急性期病棟からの退院者における暴力(これは身体的接触にいたる暴力一般であって再犯を予測するのではない)の予測法としてはMonahanらの反復分類ツリー法(ICT法)がある。(Monahanほか;暴力的リスク評価のための臨床的に有用な保険数理統計的ツールの開発:2000 Britisch Jouranal of Psychiatry:176: 312-319.2000(14))。リスク因子は、父親の薬物使用や両親の喧嘩といった本人以外の事項を含み、犯歴や頭部外傷による意識消失歴など精神障害以外の因子が含まれ、薬物乱用合併症がない精神障害や統合失調症は反復分類ツリーのうちでリスクを低めるものとされている。
これら各種のリスク評価・予測法では精神病質チェックリストが重大な役割を果たしている。(Dolanほか Violence risk prediction : Britisch Journal of Psychiatry:177 303-311.2000(36))

予測法の成績

 ある予測法は、予測法が生み出されたサンプルとかけ離れた特性をもつ集団、予測すべき行動、予測期間に対しては適用できない。
現在の予測法の成績は、高いといわれる反復分類ツリー法(ICT)で、高リスクとされたものの55%が実は暴力的でない一方で、低リスクとされたものの4.6%が実は暴力的、総数のうち約4分の1が高いとも低いともいえないリスクとなるという水準にある。 一般に対象集団におけるベースレートが低くなるほど、高リスクとされながら実は暴力的ではない人(偽陽性者)が飛躍的に増大する。これはベースレート問題と言われてきた。近年の欧米の研究は従って十分なベースレートが見込まれることを確認してから予測法を開発してきた。先にあげた反復分類ツリー(ICT)法の対象集団のベースレートは18%(20週間)であった。VRAGでは30%超(6.5年)である。
わが国の場合、先に国会審議で参考人が挙げたデータは7%程度で、ICT法のそれよりはるかにベースレートが低かった。つまりICT法並みの精度を持った予測法ができたとしてもそれよりずっと誤りやすいものだということである。
中島参考人は第154国会でモデルを使って明確に疑陽性者の問題を指摘している。 ICT法などの結果を含めて、Dolanの総説では「暴力のリスク予測は不正確な科学であり、そういうものとして議論を喚起し続けるであろう」と述べている。オックスフォード教科書の筆者P E Mullenは司法精神医学の特集(Britisch Journal of Psychaitry: 176: 307-311.2000)に論説を書いて「まったく不可能なのは、精神保健サービスが患者のあらゆる暴力的な行動を予防することであり・・ほとんど確実に大きな問題として残るのは、前もって重大な或いは致命的な傷害を他者にもたらすよう行動するかもしれない精神障害者のちっぽけな少数を同定することである」と述べている。オックスフォード教科書の彼の執筆文にも同じ趣旨の記述がある。

本法案の想定する対象者に再犯予測は可能か・・精神病質者の問題

 事実上すべての保険数理統計的方法で、リスク因子の核心部には精神病質が置かれている。本来、わが国では、精神病質に基づく犯行は心神喪失ないし心神耗弱との理由では不起訴にはなりえない筈である。だから、きちんとした責任能力判断があれば本法案には回ってこない。
 ところが本法案が求める再犯予測法の今日の到達点は精神病質がある場合に限られた有効性を持つにすぎない。
 要するに現在水準の再犯予測と本法案の本来の対象者はミスマッチである。現在水準の正確な予測を行うためには、精神病質を本法案の対象に紛れ込ませねばならなくなる。もしそうなれば精神病質者の責任能力判断は変質する。簡易鑑定における精神病質者の2割が心神耗弱・無責とされていることはこの危惧を大きいものにする。(措置入院制度のあり方に関する研究:厚生科学研究平成13年度森山班「触法精神障害者」の精神医学的評価に関する研究)

本法案と再犯予測強行の場合の問題点

[精神病質者の犯行の問題]
精神病質者の責任能力判断が混乱する危険は既述した。
精神病質の治療法は知られていない。(Wong;精神病質性犯罪者:暴力、犯罪、精神障害違法行為者: Hodgins, Muller-Isberner編.2000 Wiley(30)、Hare RD,Clark D,Grann M.et al:精神病質と精神病質チェックリスト改訂版の予測妥当性;国際的パースペクティブ:Behavioral science and law18:623-645.2000(23))。Wongは再犯防止の観点からの「治療」が必要であるというがもはやそれは医療というより矯正に属する。
治療法の知られていないものを医学の名において不確かな矯正を行い予防拘禁することは精神医学の濫用である。

[偽陽性者の問題]
精神神経学会がかねて主張したように、偽陽性者の問題が依然として最大の難点である。暴力の定義を広く取ったリスク評価の上で高リスクとしたものの半数以上が実は暴力的でないという現在の予測法の水準は国会審議でまた法律家の議論で、真剣に検討されるべきである。VRAG法並みの精度を持った再犯の予測法を用いた場合、ベースレートが7%として試算を行えば、リスクが高いとされたものの8割は実は再犯を犯さない。

[偽陰性者の問題]
ICT法なみの精度で約5%という偽陰性者は、本法案がもし成立した場合に非常な困難を当事者と精神医学界にもたらすであろう。いったん再犯予測が可能という建前が通過した場合には、こうした偽陰性者が不可避であるにもかかわらず、当事者に差別を精神医学に非難と責任を、負わせることにしかならない。

[治療の実際と危険性の消失]
残念ながら、リスク評価にたいしてリスク管理は論じられることが少ない。保険数理統計上高リスクに結びつくデータは人口学的因子や犯罪歴、などのそれ自身は介入の対象とできない過去の事実であったり、強制治療の対象とならない人格傾向であったりする。

英国の状況とわが国の明日:Ⅲ参照

 英国では83年英国精神保健法が現在改定されようとしている。かつて治療可能性を認められた場合にのみ精神科治療の対象となっていた精神病質を、犯罪を犯さない場合にも治療可能性を問わずに予防拘禁しようとしている政府改定案に多くの英国精神科医は反対している。 わが国の法律案が文言上心神喪失者心神耗弱者を対象としており、精神病質を本法案の対象と考えないという国会審議での政府答弁があったにもかかわらず、実際に精神病質に対する心神喪失心神耗弱判断が行われている上、再犯予測の中核に精神病質がある以上、この法案が通過した場合には、わが国においても英国の現在が待っているであろう。

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