公益社団法人 日本精神神経学会

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見解・提言/声明/資料|Advocacy

医療観察法の施行凍結を求める(法関連問題委員会)

更新日時:2015年2月24日

平成17年6月24日
社団法人 日本精神神経学会
法関連問題委員会
委員長 富田 三樹生

 日本精神神経学会は、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)の問題点を繰り返し指摘してきたが、施行時期が迫る最近の準備過程でこの法律が孕むさまざまな矛盾が明らかになり、それを繕うための無原則的な法運用がなされようとしている。
 本委員会は、医療観察法の施行を直前に控えた現在、最近の同法の施行準備状況等を踏まえ、法施行の凍結を求めるものである。

Ⅰ 医療観察法自体の問題

対象者が今なお不明確である。
医療観察法の当初の案は、心神喪失等の原因となった精神障害のために再び対象行為―未遂を含む重大犯罪―を行うおそれが認められる場合に医療を受けさせる、 というものであったが、国会審議の結果、「この法律による医療を受けさせる必要」があるとき、と修正され法が成立した。当学会を含め、多くの団体が、再犯予測は不可能であると主張したため、 「対象者」医療や社会復帰に重点を置くかのように表現を変えながら、「この法律による医療」という如何様にも解釈可能な概念にしたうえ、対象とする精神障害を 「心神喪失等の原因となった精神障害」から「対象行為の際の精神障害」として格段に広げたのである。対象者の危険性を最大限強調するからこそ指入院医療機関の構造は堅固であり、 人員配置も我が国における精神病床の状況と大きくかけ離れた、高い水準となっている。
しかし、治療適合性判断が想定する法の中核的対象者は、統合失調症などにより心神喪失・心神耗弱とされ人々であり、人格障害や物質関連障害などの再犯リスクが高い群は含まれないはずである。
医療観察法における対象規定にあるこの矛盾は、医療観察法の施行準備に中心的に関わる人々の間でも広く認識されているところであり、 松下正明主任研究者による平成15年度厚生労働科学研究報告書や、本年5月の当学会シンポジウム、日本司法精神医学会設立総会シンポジウムにおいても指摘されている。
これまで出されてきた鑑定ガイドラインでも、対象者を治療適合性で限定しながら、一方でリスクアセスメント、 リスクマネージメントの強調によって再犯予防を実質的に担保しようとしているなど重大な問題が含まれている。 こうした対象規定の曖昧さが、個々の検察官による起訴・不起訴、医療観察法への申し立て、精神保健福祉法による措置通報等の判断に大きな裁量を与えるとともに、 その後の鑑定や審判、ひいては入院治療や地域処遇の場に保安的要素を混入させ、現場に混乱をもたらすことは必定である。

指定入院医療機関および病床が決定的に不足している。
厚生労働省自ら認めるところであるが、設置予定の指定入院医療機関は、医療観察法施行に間に合う施設が国立2か所、 平成17年度中に実施可能な施設が国立1か所、本年度実施には間に合わないが都道府県立病院で内諾を得ている施設が2か所、 と非常に少数にとどまっている。年間300人の新規対象者が想定されるなかで病床が不足することは明らかである。 指定入院医療機関の設置が進まない理由の一つは、当学会がこれまで指摘してきたことを含む種々の問題点から、 各医療機関が指定入院医療機関の指定を受けることに否定的になっていることにある。
このような状況にあって、政府は指定入院医療機関の要件を1病棟30床から15床へと緩和する施策を打ち出し、 本年5月26日の厚生労働省による意見募集ではそれを施行令の改正として提示するに至っている。 一応の治療理念によって計画された、30床を1病棟とする構造基準をも捨て、都道府県の懐柔のみを目的とした変更案である。 さらに、精神保健福祉法上の措置病床の一部を指定入院医療機関として代用させることを可能にする法施行前改正を検討している、とも伝えられている。 これまでの医療では不十分だったというのが医療観察法制定の大前提だったはずであり、それさえもここでは無視されている。 指定入院医療機関の設置が進まないもう一つの大きな理由は、設置予定地の住民の強固な反対である。「危険な精神障害者」というスティグマを強調して法を制定し、 その収容医療機関として特別に堅固な病棟を造り、安全を強調するために外出制限を住民に約束し、その一方で社会復帰を強調する、政府の奇妙な理屈の前に、住民の不安が高まるのは当然である。

通院医療・地域処遇の体制ができていない。
 入院医療の後に、あるいは当初から審判で、医療観察法に基づく通院医療を受けることとなる対象者が一定数出現するはずである。 しかし、そのためのガイドラインはきわめて曖昧で、保護観察所や社会復帰調整官の役割も明確でない。夜間や休日を含む、 あらゆる時間で病状の急変は起こり得るのであり、その際にどこが中心となって対応するのか、必要な場合に医療機関はどこが責任を持つのか、 入院が必要と考えられる場合に病床確保はどのように行われるのか、いずれにせよ強制力はあるのか、あるとすればどの程度のものなのか、 といった内容が不明確なままでは現場に混乱がもたらされる。社会復帰調整官は想定される対象者の数に比して著しく少なく十分な対応ができる体制と到底思えない。 指定通院医療機関の指定も予定通りに進んでいない。その理由の一部は指定入院医療機関の問題とも重なっている。本年5月26日の意見募集では、 訪問看護やデイケアも必須の要件ではないとする施行令改正案を提示するに至っているが、指定通院医療機関の数合わせのために、 医療観察法の表向きの根拠であったはずの手厚い医療の理念を捨てるものである上、多少なりとも精神科医療全般の底上げにつながる可能性のあった事項を削除することによって、 「Ⅱ」で述べる悪影響を増幅させる、なし崩し的運用がなされようとしていることが指摘されなければならない。

鑑定入院における責任の所在が不明で、処遇要件が法に規定されていない。
2ケ月ないし3ケ月を想定している鑑定入院における責任の所在が不明確である。裁判所の責任の範囲なのか、 鑑定入院医療機関独自の責任なのか、あるいは厚生労働省の責任なのか。さらに鑑定入院における「鑑定その他の医療的観察」の範囲や基準が、 法・通知・ガイドラインによって何も規定されていない。鑑定入院は、医療観察法のもとで対象者と病院が最初に接触する場であり、 真の意味での急性期がここで治療されるべき事態となる可能性が高いが、ここでは精神保健福祉法におけるような入院時告知もなく、 保護者もなく、処遇基準も定められていない。これでは対象者の人権を守ることはできず、医療機関の側にも混乱をもたらすこととなろう。 身体合併症や事故発生時の対応などについても全く検討がなされていない。

Ⅱ 医療観察法と一般精神科医療・福祉の関係についての問題

医療観察法による医療は一般精神科医療の向上に寄与するか疑問である。
 国会や厚生労働省の審議会等では、触法行為を行った精神障害者への対策と共に、一般精神科医療の向上が「車の両輪」として強く主張されてきた。国会における医療観察法修正案の趣旨説明では、「本制度による高度な医療水準を及ぼすことによって一般の精神保健・医療および福祉の向上をはかる」とされている。しかし、その実現可能性は低い。精神科医療は、1958年に定められた医療法特例のもとにあって、いまだ一般医療や欧米の精神科医療に比べて格段に低い水準のもとに置かれている。精神科医療の矛盾の根幹は、従来からの政府による精神科医療の貧しい収容政策にあるのである。
 医療観察法の指定入院医療機関に限って、医師・看護師が一般精神科のそれぞれ数倍の数が置かれ、コメディカルスタッフも豊富であり、その運営に厖大な国費が投入される。他方、政府は「入院医療から地域生活中心へ」を掲げて、平成18年度に病院機能を再編するとともに、10年間で7万人の社会的入院患者を退院させる方針を示した。しかし、医療観察法の無理な先行施行によって、一般精神科医療の「底上げ」や「地域ケアの充実」は財政的に後送り、ないしは実質的な切り捨てとなる危惧がある。

医療観察法における地域処遇が精神保健福祉法や障害者自立支援法に及ぼす影響が心配される。
 医療観察法における地域処遇、通院医療の実施には、指定入院医療機関における入院医療に劣らず、上記「Ⅰ」に述べたような多大な困難が予想される。そのような状況の中で、医療観察法下の地域処遇が精神保健福祉法や本国会で審議されている障害者自立支援法に大きく依存し、それとの密接な調整のなかで実施されることは避けられない。精神障害者の地域医療や地域福祉は長年かけてようやく地域管理の視点が退けられ、地域支援の視点から実践されるようになったところである。しかし、地域住民が、厳重で堅固であることを条件に設置された指定入院医療機関から退院してきた精神障害者への厳重な管理を求めるのは避けられないことであり、医療観察法下にある精神障害者の地域医療や地域ケアを担う医療機関や福祉提供施設は、今後、対象者の行動に管理責任を負わなければならない。精神保健福祉法あるいは障害者自立支援法の目的やサービス給付のあり方は医療観察法と異なるものであるが、医療観察法がそれらをまたいで運用されることによって地域医療や地域福祉が管理的方向へと変質させられ、ひいては精神障害者全般への否定的ラベリングが強化される可能性も否定できない。保護観察所の責任において地域処遇の体制整備と実践がなされる条件が整わぬまま医療観察法を強引に施行することは、精神保健福祉法や障害者自立支援法を管理的なものへと歪めてしまうおそれがある。

以上、医療観察法施行の問題点と施行がもたらす危惧について述べた。
政府においては拙速な施行を見合わせ、医療観察法の廃止を含めて精神医療の改善についての検討を早急に開始するよう強く求めるものである。

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