今次大戦後直ぐに民間でも精神保健運動は始まりわが国独自の発展を示し行政にも少なからず影響を与えた。たとえば、昭和 20 年:日本禁酒同盟再建、昭和 24 年:日本精神病院協会(現在の日本精神 科 病院協会=日精協)創立、昭和 26 年:日本精神衛生会設立、昭和 28 年日本精神衛生連盟設立、昭和 40 年日本精神障害者家族連合会結成、昭和 38 年:全日本断酒連盟(全断連)結成、昭和 41 年:医療施設敷地外の小規模共同住宅(大みか病院)、ホステル(友部病院)発足、昭和 44 年:先駆的作業所の「ゆたか作業所」(名古屋)発足、昭和 45 年:やどかりの里(埼玉、中間施設+デイケア機能)発足、昭和 46 年:いのちの電話(東京)発足、昭和 47 年:精神障害者授産施設1号として新樹会創造印刷(調布市)設立、昭和 49 年:日本精神神経科診療所医会(現在の日本精神神経科診療所協会=日精診)設立、昭和 52 年:共同作業所全国連絡会結成、昭和 60 年:東京にダルク( DARC )設立、昭和 61 年:東京精神医療人権センター発足、全国精神保健職親会連合会設立。平成に入ってもこれらの団体はさまざまな形で発展している。近年、当事者による自助グループが数多く生まれ発展していることも ?目される。 写真(1)は、全家連の結成大会の会場風景、全国精神障害者家族連合会はのち全国精神障害者家族 会 連合会(ぜんかれん)と改名、平成に入って間もなく解散を余儀なくされ、現在は全国精神障害者団体連合会(ぜんせいれん)、全国精神保健福祉会連合会(みんなねっと)が活動している。 写真(2)は、いのちの電話の誕生に貢献したヘットカンプ( Ruth Hetcamp )伝道師。いのちの電話は全国都道府県津津浦浦まで普及し、東京・関西では英語いのちの電話もできた。昭和 52 年日本いのちの電話連盟が結成されている。 写真(3)は、全国で3番目にできた東京・小平市の「あさやけ作業所」の門前風景。 写真(4)は、昭和 52 年の共同作業所全国連合会(きょうされん)第1回全国集会の会場風景。 写真(5)は、その時のポスターである。(今回も写真はすべて「図説・日本の精神保健運動の歩み」から借用した。関係者に厚く御礼申し上げます。編者:評議員・松下昌雄)
今回をもつて本シリーズは一応終了します。長い間ご覧いただいた会員諸氏に厚く御礼申し上げます。平成に入ってからの 20 年間にもさまざまな動きはありましたが、比較的最近のことで広く知られているので割愛します。なお、第 12 回 WPA 横浜大会の「写真展」( 2002 )および「日本精神神経学百年史」の「写真でみる学会百年のあゆみ」( 2003 )編集の折から本シリーズ作成の間お借りしていた写真の一部が少数事務局に残してありましたが、この際すべてご返還いたします。ご協力に対しこの場を借りて厚く御礼申し上げます。最後に、種々ご便宜を頂いた日本精神衛生会理事会に改めて深甚なる御礼を申し上げる次第です。会員の皆様のご健康とご発展を祈念申し上げます。(おわり)
全家連の結成大会「目で見る30年史」昭和大学付属鳥山病院、東京、1981年より
昭和 52 年の共同作業所全国連合会(きょうされん)第1回全国集会の会場風景