わが国の断酒運動は1873年横浜の在留外国人による「外人海員禁酒会」から始まりますが、本格的には1890年に前ハワイ領事安藤太郎(写真1)が、アメリカ留学から帰国したクリスチャンの根本正(写真2)と東京禁酒会の設立に関与したことに始まります。
その後各地の禁酒団体が集まり日本禁酒連盟が結成され、機関紙「国の光」(写真3)が発行されました。断酒運動のポスタ―(写真4)には、禁酒会、飲酒被害者などの文字があり、下段にさまざまな種類の飲酒被害者が列挙されていてその表現とともに興味深く読むことができます。その後紆余屈折して1963年にようやく全日本断酒連盟が結成されました。
独自の断酒活動をした著名人に片山国嘉(写真5)、松浦有志太郎(写真6)などがいますが、内村鑑三もその一人です。写真7は片山教授の断酒に関する諸著書です。
1898(明治31)年日本禁酒連盟設立時の初代会長夫婦
安藤太郎は1888(明治21)年4月ハワイ島日本人禁酒会会長となる。ハワイ総領事だった安藤は大酒家であったが、妻の諌めで断酒した。翌1889年11月に帰国した。
1889年(明治22)米国留学から帰国し、翌年安藤太郎と東京禁酒会設立。
1896年(明治31)衆議員議員となり、未成年者喫煙禁止法、次いで未年者飲酒禁止法の成立に努力した。
1898年(明治31)日本禁酒同盟より発行の機関紙
アルコールの害を訴えたポスター(大正時代のものか?)
東京帝国大学医科大学法医学教授、東京府巣鴨病院医長、1901年(明治34)退官。
片山は熱心な仏教徒で退官後、禁酒運動に力をそそいだ。
京都帝国大学皮膚科梅毒学教授、1918年(大正7)退官。大正11年京都禁酒会会長となる。
『酒害の真相』H.Hoppe:Tatsache uber den Alkoholの訳書。
1913年(大正2)6月 南江堂版
『酒害予防講話』1922年(大正11)7月
『禁酒入門』同年7月 秋南書院版
その他『禁酒誓約論』『禁酒之誓約』『酒外予防問答』『和讃』等の小冊子
酒外予防唱歌(レコード) 秋南書院版