今回もすべて「図説日本の精神保健運動の歩み」からの写真を使用させて頂きました。
明治時代、多くの精神障害者は、監禁を許していた精神病者監護法のもとに、私宅に監置されていました。 呉秀三は、1910年(明治43)から1916年(大正5)までの間、監置室365、被監置精神病者361人の実態調査をおこない、かの有名な言葉が載っている「精神病者私宅監置ノ実況及ビ統計的観察」(1918年、大正7)で、その実状を明らかにしました。監置室(写真1、写真2、写真3)は1~2坪のものが約60%で、極めて悲惨な環境であったといいます。その後の私宅監置の推移を写真4に示しました。入院が私宅監置を上回ったのは、ようやく1924年(昭和4)のことでした。同法には精神病院以外の場所でも拘束できる保護拘束の規定があり、戦後まで長く続きました。なお、当時は今では考えられないような様々な拘束用具(写真5上、写真6)が用いられていました。写真5下は、当時の病室の鉄格子付きの扉です。「保護拘束」規定が完全に廃止されたのは、1965年(昭和40)の精神衛生法改正においてであり、その間実に65年を要したことになります。その後も写真6にあるような拘束衣は最近まであちこちで用いられていました。(以上)
(東大精神科所蔵)
(東大精神科所蔵)
呉・樫田論文より転載
濯水籠(鉄製)
籠の中に患者を閉じ込め、上より蒸露え水を注ぐ治療を行った。治療器具のひとつであるも、患者を閉じ込めるという意味で、拘束具のひとつといえる。
病室の扉
鉄格子の窓で中が監視できるようにつくられている。
種々の拘束具
手錠、手鎖、足錠の他、上にあるのは手革、足革(用い方は呉秀三の文章に記述)
縛衣(拘束衣)
(用い方は呉秀三の文章に記述) (松沢病院所蔵)