公益社団法人 日本精神神経学会

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歩み6:近代において精神障害者を描いた作家と作品

更新日時:2015年1月28日

近代において精神障害者を描いた作家と作品

 今回は、明治・大正・昭和(中期まで)時代に精神障害者の心像を描いた作家と作品を概括した。 写真(1)はわが国の近代文学がはじまった明治中期の二葉亭四迷の「浮雲」(1889年、明治22年)で、未完に終わっているが、著者は最後には主人公を発狂させるつもりであったという。 人生や生活を自己告白的に述べる当時の自然主義文学の潮流に反対した反自然主義作家の夏目漱石は自身、神経衰弱を患いながら晩年「行人」(1913年、大正2年)、「こころ」で心を病む主人公の姿を浮き彫りにした。 菊池寛の「屋上の人」(1916年、大正5年)、「順番」は精神病者を主人公とし、その家族の葛藤を描いている。次いで、広津和郎の「神経症時代」(1917年、大正6年)、佐藤春夫の「田園の憂鬱」(1918年、大正7年)がある。 前者は理想と現実の間で憂鬱と虚無に陥ってゆくひ弱な知識人の姿を、後者は都会を離れ、不安、幻想、幻聴に悩む青春の心境を描いた。 そのほか、自ら酔狸州と号した葛西善蔵の「椎の若葉」(1924年、大正13年)、「弱者」、「酔狂者の独白」は、アルコール依存者の病的体験を鮮明に描き出した。 島崎藤村の「ある女の生涯」(1921年、大正10年)は、精神病院で生涯を終えた実姉をモデルにしている。 島田清次郎は、野心に燃え人生を遍歴する少年を主人公とする「地上」(1919~22年、大正8~11年未完)を書いたが、のち統合失調症を発病し、精神病院で悲劇的な死を遂げた。 そのほか、泉鏡花の「高野聖」(1900年、明治33年)、内田百間の「冥土」(1921年、大正10年)、夏目漱石の「夢十夜」(1908年、明治41年)がある。 また梶井基次郎の「檸檬」(写真(2))(1925年、大正14年)は倦怠から緊張への精神の過程を見事に表現している。

詩歌の世界では、強迫 症状や被害念慮に悩んだ萩原朔太郎(写真(2))の「月に吠える」(1917年、大正6年)、「青猫」がある。 躁鬱病を病んでいた宮澤賢治(写真(2))は「春と修羅」(1924年、大正13年)、「銀河鉄道の夜」で幻想の世界を描いた。 齋藤茂吉は精神科医として「赤光」(1913年、大正2年)、「暁紅」で精神障害者の心を歌った。 高橋新吉は、辻潤らとダダイズム文学を先駆し、詩集「ダダイスト新吉の詩」(1923年、大正12年)、「戯言集」を発表した。 俳句では、酒と放浪を愛した尾崎放哉、酒豪の種田山頭火は酒にまつわる多くの句と日記を残した。 以上のほか、森鴎外の「舞姫」(1890年、明治23年)、小泉八雲の「怪談」(1904年、明治37年)、泉鏡花の「海異記」、「春昼」、「春昼後刻」(共に1906年、明治39年)、「日本橋」、「眉かくしの霊」、夏目漱石の「幻影の盾」、「露行」(共に1905年、明治38年)、「それから」、「道草」、中村古狭の「殻」(1913年、大正2年)、有島武郎の「迷路」(1916年、大正5年)、徳富蘆花の「新春」(1918年、大正7年)、菊池寛の「忠直卿行状記」(1918年、大正7年)、佐藤春夫の「都会の憂鬱」(1922年、大正11年)、谷崎潤一郎の「痴人の愛」(1924~5年、大正13~4年)、正宗白鳥の「人を殺したが」(1925年、大正14年)など、枚挙に暇がない。

昭和に入って、睡眠薬自殺をした芥川龍之介は「河童」、「或阿呆の一生」(共に1927年、昭和2年)、「歯車」などで奇っ怪な世界を写し出した。 島崎藤村は自分の父をモデルにした大作「夜明け前」(写真(3))(1929~35年、昭和4~10年)で発狂し座敷牢で非業の死を遂げた主人公の生涯を描いた。 心を病んだ詩人高橋新吉は、「狂人」(写真(3))、「発狂」(1936年、11年)で自分の病的体験を映し出した。 検挙され拘禁反応を起こし松澤病院に入院させられたプロレタリア作家中本たか子は「闘ひ」(1930年、昭和5年)のなかで病院での体験を描いた。 高村光太郎には病める妻の思い出を綴った「智恵子抄」(1941年、昭和16年)がある。 倉田百三は「絶対的生活」(1930年、昭和5年)で自己の強迫神経症を森田療法で克服した体験を語った。 太宰治は「HUMAN LOST」(1937年、昭和12年)でバルビナール依存で入院した体験を綴った。昭和になって活発となった探偵小説では、江戸川乱歩、木々高太郎(大脳生理学者林燥)らがいるが、夢野久作の「ドグマ・マグラ」(1935年、昭和10年)は精神医学者と法医学者の対決を描いた大作である。 うつ病で松澤病院に入院した詩人千家元麿はその体験を「狂老人」、「入浴」などで歌った。 30歳の若さで死んだ中原中也は「山羊の歌」(1932年、昭和13年)、「在りし日の歌」で挫折と倦怠を歌い上げた。 井伏鱒二は「多甚古村」(1939年、昭和14年)で病者に対するやさしさを行間に滲ませる。 軍国主義一色の時代に入って、石上玄一郎は「精神病学教室」(1942年、昭和17年)で科学とヒュ-マニズムの対立を描いた。 精神科医式場隆三郎は写真入りの「二笑亭奇譚」(1939年、昭和14年)を発表し話題となった。
昭和23年)、織田作之助の「郷愁」(1946年、昭和21年)、田中英光の「野狐」、「聖ヤクザ」(共に1949年、昭和24年)など。 戦争体験による作品としては、井伏鱒二の「遙拝体験」(1950年、昭和25年)、大岡昇平の「野火」(写真(4))(1951年、昭和26年)は人肉を食った兵隊を射殺し帰国後精神病院に入院した負傷兵の心を手記風に描いた。 痴呆症の母を描いた安岡章太郎の「海辺の光景」(1959年、昭和34年)、反道徳的男色を描いた森茉莉の「恋人たちの森」(1961年、昭和36年)、川端康成の「古都」(1962年、昭和37年)、「片腕」は 睡眠薬依存の体験を吐露した。 梅崎春生は麻薬依存で自殺した弟を題材にした「狂い凧」(1963年、昭和38年)、精神障害者の心の軌跡を描いた「幻化」を書いた。 武田泰淳は「ひかりごけ」(1954年、昭和29年)、「富士」で正常と狂気の交錯を掘り下げた。 古井由吉の「杏子」(1970年、昭和45年)は神経を病む少女と青年の愛を描き、小林美代子の「髪の花」(写真(4))(1971年、昭和46年)は精神病院の入院体験を描いたが2年後自殺した。病む妻を描いた作品に上林暁の「聖ヨハネ病院にて」(1946年、昭和21年)と島尾敏雄の「死の棘」(写真(4))(1960~76年、昭和35~51年)があるが、両者の色合いはかなり異なる。 敗戦直後の丹羽文雄の「嫌がらせの年令」(写真(5))(1947年、昭和22年)に対し、二十数年後に有吉佐和子が「恍惚の人」(写真(5))(1972年、昭和47年)を世に問い話題を呼んだ。 谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」(写真(5))(1962年、昭和37年)は老人の性の問題を世間に提起した。

精神科医北杜夫の「夜と霧の隅で」(写真(5))(1960年、昭和35年)、「楡家の人々」、精神科医加賀乙彦の「フランドルの冬」(写真(5))(1967年、昭和42年)はいずれも精神病院を舞台にした作品である。 なだいなだも精神病に関するエッセイ出している。 このほか、精神病理学に関係する作品を挙げると、埴谷雄高の「死霊」(1946年、昭和21年)、三島由紀夫の「仮面の告白」(1949年、昭和24年)、「金閣寺」(写真(6))(1956年、昭和31年)、「音楽」、安部公房の「壁」(1951年、昭和26年)、大江健三郎の「個人的体験」(1964年、昭和39年)、「万延元年のフットボール」(1967年、昭和42年)、「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(写真(6))(1969年、昭和44年)がある。 更には、泉鏡花、中井英夫、滝沢龍彦などがいる。(編集者-松下昌雄)

[写真1] 文学・小説にみる精神病者-その1

文学・小説にみる精神病者-その1明治・大正時代~1926年(~大正15年)

[写真2]

萩原朔太郎/梶井基次郎 檸檬/宮澤賢治/高橋新吉 ダダイスト新吉の詩[萩原朔太郎]/[梶井基次郎]-檸檬/[宮澤賢治]/[高橋新吉]-ダダイスト新吉の詩

[写真3] 文学・小説にみる精神病者-その2 昭和時代(1)

島崎藤村 夜明け前/詩人 高橋新吉 狂人 昭和のはじめから敗戦まで1926~45年(昭和元年~20年)
[島崎藤村]-夜明け前/[高橋新吉]-狂人

[写真4] 文学・小説にみる精神病者-その3 昭和時代(2)

大岡昇平 野火/島尾敏雄 死の棘/小林美代子 髪の花 敗戦から昭和40年代まで(1945~1970年)
[大岡昇平]-野火/[島尾敏雄]-死の棘/[小林美代子]-髪の花

[写真5]

丹羽文雄 嫌がらせの年令/有吉佐和子 恍惚の人/谷崎潤一郎 瘋癲老人日記/北杜夫 夜と霧の隅で/加賀乙彦 フランドルの冬 [丹羽文雄]-嫌がらせの年令/[有吉佐和子]-恍惚の人/[谷崎潤一郎]-瘋癲老人日記/[北杜夫]-夜と霧の隅で/[加賀乙彦]-フランドルの冬

[写真6]

三島由紀夫 金閣寺/大江健三郎 万延元年のフットボール・個人的な体験・われらの狂気を生き延びる道を教えよ[三島由紀夫]-金閣寺/[大江健三郎]-万延元年のフットボール・個人的な体験・われらの狂気を生き延びる道を教えよ

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