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歩み5:精神病者慈善救治会とその後

精神病者慈善救治会とその後

 呉秀三は、欧州留学中に知った精神病院の救護会について、帰国(1901年、明治34)後大日本婦人衛生会で講演したが、それをきっかけに翌1902年(明治35年)10月10日、呉皆子(呉秀三夫人)が主唱して精神病者慈善救護会が設立された。目的は貧困精神病者への慈善事業であった。翌1903年(明治36年)12月に会報「心疾者の救護」第1号(写真(1))が発行された(写真(10)は1921年発行の同誌第35号)。1905年(明治38年)11月に大隈綾子(大隈重信伯爵夫人)が会長に就任、1919年(大正8年)9月に松井正子(大隈重信の養子信常の妹)が会長になった。写真(3)は初代会長大隈綾子、写真(4)は二代目会長松井正子の麗姿である。以後会長はいない。明治の元勲大隈重信は呉秀三の精神衛生運動のよき理解者、最大の支援者であり、のち侯爵となり、広く社会活動に尽力した。早稲田大学(1882年東京専門学校、1902年早稲田大学)の創設者であることは衆知のとおりである。写真(2)は1913年(大正2年11月29日)の役員会の写真で、呉秀三、三宅鑛一の顔も見られる。写真(5)は役員会が開かれた早稲田の大隈邸。 写真(6)は大隈伯爵夫妻。写真(7)は、「神経学雑誌」4巻に載った大隈候の演説。写真⑧は同年同月に大隈候に送られた呉秀三の書簡(直筆)。写真(9)は東京帝国大学内の病室風景(大正5年)で、中央が呉顧問。1921年(大正10年)精神病者救治会と改称され、慈善事業から社会事業へと切り替わった。東京府立松澤病院内の臨時救護所の設置(1924年)、駿河台の精神病者相談所の設置(1926年)、相談所内の治療部の開設(1926年)と続く。1927年(昭和2)救治会と改称され、呉秀三が理事長に就任。1929年(昭和4年)三宅鑛一が理事長になった。同年精神病者救治会と改称、会報は「救治会会報」と改題された。1930年(昭和5年)会からの資金で松澤病院内に新設された印刷作業所で、戦後数年「精神神経学雑誌」が印刷された。1931年(昭和6年)救治会と改称され、そこで目的は慈善事業から社会事業に発展した。写真(12)は、1932年(昭和7年10月20日)に創立満30年を記念して発行された「救治会パンフレット」。1936年(昭和11年)に内村祐之が理事長に就任。1941年(昭和16年)「救治会会報」第60号が出てそれが最終号(写真(11))になった。 1943年(昭和18年)救治会、日本精神衛生協会、日本精神病院協会を統合して精神厚生会が設立された。残念ながら、精神病者の救護・治療・予防・社会的処遇改善のための社会事業団体としての救治会活動は戦後復活しなかった。(今回もすべて「図説日本の精神保健運動の歩み」-日本精神衛生会編纂から写真を使用させていただきました。関係者に御礼申し上げます。)(完)
(編集者・理事:松下昌雄)

[写真1] 大日本私立婦人衛生会機関誌

大日本私立婦人衛生会機関誌

[写真2] 大隈重信邸での役員会

大隈重信邸での役員会

[写真3] 初代会長 大隈綾子

大隈綾子 初代会長 大隈綾子  在任1905-1917年
(早稲田大学所蔵)

[写真4] 二代目会長 松井正子

松井正子 二代目会長 松井正子  在任1919-1923年
松浦伯爵家の出であり松浦家から大隈重信次女光子(長女熊子の養子となった)の婿に入った重常の妹である。
(松井康輝氏所蔵)

[写真5] 早稲田の大隈候邸とその庭園

早稲田の大隈候邸とその庭園 早稲田の大隈候邸とその庭園
建物は戦災で焼失したが、庭園の一部は現在もよく保存され、公開されている。
(ここで開かれた教治会役員会の写真-62頁所蔵)
(早稲田大学所蔵)

[写真6] 大隈侯夫妻

大隈侯夫妻 大隈侯夫妻(早稲田大学所蔵)

[写真7] 精神病に対する雑感

精神病に対する雑感

[写真8] 呉秀三より1906年2月10日付大隈伯宛書簡

呉秀三より1906年2月10日付大隈伯宛書簡 (早稲田大学所蔵)

[写真9] 1916年(大正5)5月13日に竣成の東京帝国大学内病室

1916年(大正5)5月13日に竣成の東京帝国大学内病室 1916年(大正5)5月13日に竣成の東京帝国大学内病室(中央に呉顧問)
(「救治会々報」第52号、1932年より)

[写真10] 「心疾者の救護」第35号

「心疾者の救護」第35号 「心疾者の救護」第35号
(1921年6月27日発行)
会報で所在が確認された最も古いもの。
これは故村松常輝氏(主事)が当時の国立日本精神衛生研究所に寄贈されていたものであるが、この現物も現在では所在不明になっている。

[写真11] 「救治会々報」最終号

「救治会々報」最終号「救治会々報」最終号(1941年10年6日発行)
”精神病者の救護・治療・予防・社会的処遇改善等のための社会事業団体”の句は、第59号から表紙にのっていた。”救治会々報”の字は呉による。

[写真12] 救治会パムフレット第1輯

救治会パムフレット第1輯

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