公益社団法人 日本精神神経学会

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石塚佳奈子先生・夏苅郁子先生・尾崎紀夫先生に「こころの病気と遺伝」を訊く

更新日時:2021年10月6日
石塚 佳奈子先生 名古屋大学
夏苅 郁子先生 やきつべの径診療所
尾崎 紀夫先生 名古屋大学
※所属は掲載日のものです
3名の先生に「こころの病気と遺伝」をテーマにお話をお伺いしました。
(掲載日:2021年3月1日)

①遺伝って何ですか?

 「遺伝」には二つの意味があります。ひとつは「遺伝する」という表現で使われる、なんらかの特徴が親から子に伝わるという意味です。わかりやすい例では、親子で目元がそっくりだとか、体格が似ているなどと言いますね。もうひとつは「遺伝が関わる」という表現になります。この場合、各々の人の特徴に関わるその人の遺伝情報を意味しており、「親から子に伝わる」という意味は含まれません。そうは言っても、日本語の遺伝は「遺伝する」「親から子に伝わる」イメージが強いですよね。誤解を避けるために、個人の遺伝情報は「ゲノム」と呼ぶようになっています。

 ゲノムは個人が持つ遺伝情報で、個人の設計図とも言われます。ヒトのゲノムは約30億の塩基対で構成され、46本・23対の染色体にわかれます。子のゲノムは、単純に両親の染色体23対を一本ずつ受け継いでも兆単位(223×223)の組み合わせがあり得ます。また、ご両親が持っていない遺伝情報を子が持つこともあります。さまざまな変化が加わって、同じ両親を持つきょうだいでもずいぶん違うゲノムを持つことになります。いったん作られたその子固有のゲノム配列は生涯変わりませんが、生まれる前の胎内環境に始まり一生を通じて多種多様な環境要素により修飾を受けます。そのため、ほぼ同じゲノムを持つ一卵性のふたごですら、性格傾向や学力、経済状況、こころの病気は必ずしも一致しません。各々の人が持つ多様なゲノム情報と環境の影響から生み出された個人差は、ヒトの集団に多様性を生み出すと同時に、個人のさまざまな特性や病気の発症や経過にかかわることがあります。

 

②こころの病気は遺伝しますか?
わが子がこころの病気になったのは親からの遺伝でしょうか?
わが子がこころの病気になった時、義父に「うちの家系にはこころの病気の人はいないから、お前の家系のせいだ」と責められましたが、義父の言うとおりでしょうか?

 遺伝が「親から子に伝わるなんらかの特徴」なら、「親から子に伝わった遺伝情報によって生じる病気」が気になるのも当然ですね。病院の問診票に「血のつながった方に同じ病気の人はいますか」という項目があるくらいですから、ご心配も無理はありません。しかし、「血のつながった人は赤の他人よりは体質が似る」ということを前提にした質問でしかありません。こころの病気はしばしばその人の生活や人生全般を左右するように感じられ、こころの病気に関する遺伝の話題は否定的なニュアンスで語られがちです。しかし、こころの病気は患者さんの特性の一部でしかありません。さらに言えば、誰かが持っていた特定の悪い遺伝情報が引き継がれて発症するものでもありません。 

 「遺伝って何ですか?」の項でもご説明しましたが、各々の人が持つ多様なゲノム情報と環境の影響から生み出された個人差が病気の発症にかかわることがあります。こころの病気も同じで、たくさんの要因が関わるので、「多因子遺伝による多因子疾患」と言います。多因子遺伝の特徴は、血のつながりがある人の方が赤の他人よりも似ることが多い点です。例えば、身長、体重、性格傾向や趣味嗜好など、個人差を形作るほとんどの性質は多因子遺伝によります。生まれつきの口唇口蓋裂や心疾患も、成人になって発症する糖尿病や高血圧のように多くの人がかかる病気も、多因子遺伝による多因子疾患です。こころの病気は、これらと同じ程度に、血のつながりがある人どうしで「似る」と言えます。ただし、個人が発症するかどうかの大部分は、多様なゲノム情報と多様な環境の組み合わせがたまたま揃ったことによるものであり、その人自身を含む誰のせいでもありません。このことは研究により証明されています。

 ここまで読んだら、「うちの家系にはこころの病気の人がいない」と言い切れることの違和感にお気づきになるでしょうか。

 

③父のこころの病気についてインターネットで調べていたら、「遺伝率が80%」という情報を見つけました。この「遺伝率が80%」というのは、私は8割の確率で父と同じこころの病気になるということでしょうか?

 遺伝率は個人個人の病気になる可能性を予測する数字ではありません。皆さんは「最新の研究で○○病の遺伝率は80%であることが明らかに!」というインターネット情報や記事を見たことがありませんか。われわれ精神科医はこのような記事が出るたびに、「また患者さんたちが遺伝を重く感じて悩むのではないか」「数字が一人歩きしてしまうのではないか」、と頭を抱えます。例えば、一卵性と二卵性のふたごによる複数の研究結果から遺伝率が約80%であり、一般の人の1%がかかるこころの病気の一つに統合失調症があります。片方の親が統合失調症と診断されている場合にお子さんが罹患する頻度は10%程度です。この「遺伝率」という言葉は英語の”Heritability”の訳で、個人ではなく集団に対して、ゲノムの影響が強そうか弱そうか、おおよその推定に用いる概念です。また計算法もふたごによる研究以外に色々な方法があり、その結果も異なります。誤解を避けるために「遺伝率」ではなく「遺伝力」という訳語を使う研究者もいます。繰り返しますが、冒頭の「最新の研究で○○病の遺伝率は80%であることが明らかに!」は、個人が8割の確率で発症することを意味するものではありません。

 ここまでお読み頂いて遺伝のことをもっと詳しく知りたくなった方には,科学技術振興機構(JST)が運営するウェブサイトから無料でダウンロードできる「もっと知りたい!遺伝のこと」(PDF・全80ページ)をおすすめします。

 以下のリンクから,右側・赤枠の「PDFをダウンロード(37263K)」をクリックしてください。
 https://doi.org/10.1241/sciencewindow.201610C3

 

④遺伝子を調べたらこころの病気の原因がわかるのでしょうか?

 2021年2月現在、ある特定のゲノム情報があると100%特定のこころの病気が起こる、という事実はないと考えられています。その理由は、症状に基づいて特定のこころの病気として診断された方々の中には様々な原因の方がまざっている、ということもあります。その一方で、ある特定のゲノム情報があると、一定の確率(100%ではありませんが)で、こころの病気だけでなく他の身体の病気や薬の副作用が起こりやすくなることなどが徐々にわかりはじめています。このようなゲノム情報を、こころの病気の診療に活かしたり、現在は症状に基づいて分類されているこころの病気の分類を変えたり、ということが、少しずつですが現実のものになりつつあります。

 こころの病気は、現在のところ検査所見のような指標がなく、症状に基づいて診断されます。そのため、その時の症状の出方、あるいは患者さんの表現の仕方によって、診断名が違うのが現状です。「あの時こう答えたら、こころの病気とは診断されなかったのでしょうか」「あの医者が私の話を聞かずにこころの病気と診断したのは納得がいかない」と思うのも無理はありません。特にこころの病気は身内でも話題にしにくく、血のつながった人に同じ病気の人がいるかどうかがわからないこともしばしばです。一方、「遺伝って何ですか?」でお伝えしましたが、ゲノムの基本配列は生涯変わりません。このことを利用して、各個人について様々な病気の起こりやすさを予測する研究が進んでいます。ゲノムの個人差は、30億塩基対のうち少なくとも500万箇所といわれています。ゲノム配列を解読する技術やコンピューターの性能が上がったことで、この500万箇所の違いと病気の関係を数学的に結びつけることができつつあります。さらにゲノム情報からどの様なメカニズムで病気になるのかについて、iPS細胞技術や最新の脳科学が進むことにより、わかりつつあります。


 いずれは、こころの病気を含む様々な病気について、ゲノム情報を活用することで、精神科の診断分類を作り替えることや、病気の起こりやすさの予測・予測による予防・治療薬や治療方針の選択・病気の経過予測に活用できるのではないかと期待されています。この様なゲノム情報に基づくその人に最適な医療・保健の実現には、1. 当事者・ご家族のご理解とご協力の上でゲノム研究を進めること、2. 得られたゲノム研究の成果を当事者・ご家族にわかりやすく伝え、心理的なサポートをする人材の育成、3. 国民全体の理解と法律などの整備が必要と考えております。

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