公益社団法人 日本精神神経学会

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精神科医のキャリアパス

更新日時:2019年5月16日

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辻 惠介 先生
武蔵野大学人間科学部人間科学科

「精神科医と鑑定人と大学教授の3つを掛け持ち。医学に止まらず、学際的にいろいろなことができるのが精神医学の魅力のひとつかなと思います。」

(掲載日:2019年5月16日)※所属は掲載日のものです

辻先生が精神科医を志した理由を教えてください。

 もともと哲学や心理学に興味があったのですが、それで食べていくのは難しそうで、医学部に入って精神科医になれば、似たようなことをしながら生活できそうだと考え、甚だ不純な動機で志しました。そのため医学部での勉強はあまり面白く思えず、追試ばかり受けていました。若気の至りで志望動機を隠そうともせず、食べるために医学部に入ったと公言し、挙句には、厳しくて有名だった第二外科の助教授に、「君の将来には関係のない科目なのに(卒試の追試を受けさせて)すみませんね」と言われる始末で、今振り返ると恥ずかしい限りです。

 学部の4、5年生のころに、自分が勉強したいのは精神病理学のようだと思い当たったのですが、当時、私のいた横浜市大は精神病理学が盛んではありませんでした。ただ、他大学に目を向ければ、幸いなことに宮本・安永・木村・中井といった精神病理学の大家がまだ第一線で活躍されていて、ところどころの医局で精神病理学の命脈が保たれていましたので、横浜市大の大先輩にあたる故平山正実先生(死生学)が当時自治医大にいらしたのを伝手に、自治医大の故宮本忠雄教授(当時)に弟子入りしました。

 

現在はどのような働き方をされていますか?また、なぜ今の働き方を選んだのか、理由を教えてください。

 現在は、武蔵野大学人間科学部人間科学科で学科長の雑務に追われながら、司法精神鑑定を専門にしています。刑事だけでなく民事や家事も手掛け、裁判所医務官などもしており、大学で受け持つ講義も犯罪心理学ですので、司法と精神医学の狭間で働いていると言えるでしょうか。もちろん、通常の臨床ができる場も必要ですので、週に1日は地元の精神科病院で外来に出ています。精神科医と鑑定人と大学教授の3つを掛け持ちしているので、それぞれが他の2つに対する気晴らしになっています。

 司法領域に関わったきっかけは、ジュニアレジデントのころ、焼殺未遂事件の精神鑑定で、宮本教授の鑑定助手をやらせていただいたことです。ご定年が迫っていた宮本教授に直接ご指導いただける機会が欲しかったのですが、よくもまぁ入局2年目の駆け出しが鑑定助手に立候補したものだと思います。当然ながらろくな鑑定書も書けず、さぞ宮本教授を悩ませたことだと思いますが、病床にもかかわらず嫌なお顔ひとつされずに朱を入れてくださいました。宮本教授には本当に感謝しています。そして、一度手掛けてみると精神鑑定の面白さに取りつかれ、病みつきになってしまいました。

 

精神科を選んで良かったことは何だと思いますか?

 もともと精神科志望で医学を志したので、精神科を選んでよかったもなにもないのですが、医学に止まらず、学際的にいろいろなことができるのが精神医学の魅力のひとつかなと思うことはあります。私の場合、大学院時代を含めた自治医大の8年間と、獨協医大の2年間とで、都合10年間医科大学で働き、その後、臨床心理士の資格も取ったし文系の女子大の教員になるのも悪くないかなという安易な考えで、たまたま公募で求人のあった武蔵野女子大学(当時)に移ったのですが、医学系以外の領域の大学教授になる医師は、やはり精神科が一番多いのではないでしょうか。医学系以外の大学の教員は、基本的には個人商店のようなもので、昔と違って忙しくなってきたとは言え、自分の裁量で使える時間が多く、研究にせよ社会的な活動にせよ、フットワークよく動くことができます。誤算だったのは、移った翌年には男女共学になり、名前も武蔵野大学に変わって、あれよあれよという間に大学の規模も大きくなったため、女子大の教授として優雅な後半生を送るという目論見が見事に崩れ去ったことですが、今の境遇も、それはそれで結構面白く感じています。

 

最後に、医学生、研修医の方へのメッセージをお願いします。

 学部生時代から自治医大で開催される研究会に参加していたこともあって、自治医大精神科に入局したのは自然な流れでした。大学院を出て、将来のポストの当てもないまま自治医大の助手をしていたときに、講師として来ないかと誘ってくださったのは、学会や研究会で笑顔で話し掛けてくださる獨協医大精神神経科の大森健一教授(当時)でした。大森教授が学長・理事長になられた後、後任の教授が他大学から来られたこともあって、武蔵野女子大学(現、武蔵野大学)に移ることを考えたのですが、そのときは、司法関係の研究会でご一緒していた小西聖子教授(現、学部長)がいらっしゃる大学だったことで、安心して移ることができました(小西教授には現在も同僚としてお世話になっています)。こうして考えると、月並みなメッセージですが、臨床と研究をまじめにこなし業績を積み上げるだけでなく、若いうちは学会や研究会にせっせと顔を出し、人脈を広げることが大切に思えます。私も、自分の後任の確保を意識する年齢になってきました。十数年後に文系の大学教員になるのも悪くないなと考えてくれる医学生や研修医と、どこかの学会か研究会で出会えることを楽しみにしています。

 


武蔵野大学有明キャンパスの遠景。お台場にあり交通の便がよいのが魅力ですが、この写真だとトロピコみたいですね。
(写真1:武蔵野大学ホームページより引用)

 


総合大学のキャンパスは、病院色が強い医学部のキャンパスと比べて若やいだ雰囲気が漂っているかも知れません。
(写真2:武蔵野大学ホームページより引用)

 


FM西東京に呼ばれたときの写真。この写真を使ったポスターが中央線の車中に貼られていたときには、
ちょっと気恥ずかしい思いをしました。(写真3)

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