公益社団法人 日本精神神経学会

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精神科医のキャリアパス

更新日時:2018年3月12日

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針間 克己 先生
はりまメンタルクリニック

「性同一性障害というのは、多様な一人ひとりの人間それぞれを尊重し、心理的、身体的、社会的に健康に生活できるように支援する、という医学の本質の詰まった分野です」

(掲載日:2018年3月12日)※所属は掲載日のものです

針間先生が精神科医を志した理由を教えてください。

 志望の明確な理由は自分でもわかりません。というのも、物心ついた時には、精神科医になるつもりでしたし、なるものだと思っていました。そう思っていた理由も、不明なのですが、今から考えますと、父親が産婦人科の開業医で、四人同胞第三子、次男、という生育歴に起因するかもしれません。つまり、親と同じく医者になるつもりではあったが、姉と兄がいて、家業の産婦人科を選ぶ必要はない、といったあたりです。さらに、読書好きだったので、医者の中で本を一番読んでいそうなイメージのあった精神科医に憧れをいだいたのかもしれません。幼少期の思いは、その後もまったくぶれることなく、まっすぐにそのまま精神科医になりました。結局、実家の産婦人科医院は姉が継ぎ、私は神保町にクリニックを開業し、古本屋巡りの毎日です。三つ子の魂、という感じかもしれません。

現在はどのような働き方をされていますか?また、なぜ今の働き方を選んだのか、理由を教えてください。

 現在、私は東京都千代田区の神保町で、クリニックを開業しています。そこでは、性同一性障害をはじめとする、セクシュアリティに関する悩みを抱える人を中心に診療をしています。物心ついたときより、精神科医にはなるつもりでしたが、そこから先の更なる専門については深く考えたことはありませんでした。いざ精神科医になってみると、セクシュアリティは人間にとって大事なことであるにもかかわらず、精神医学の分野ではあまり取り組まれていないことを知りました。産婦人科医の息子だったからか、セクシュアリティの問題に関心もあり、この分野を専門にするようになりました。また、博士課程が終わり、1997年から東京家庭裁判所に勤務したのですが、この時期は、ちょうど日本で性同一性障害の治療が取り組まれ始める時期でもありました。家庭裁判所においても、「性別適合手術を受けた人の戸籍の性別をどう扱うか」ということが問題になっていました。そのため、私もこの問題を深く調べるようになりました。裁判所の判断としては、結局、手術をしても認めないというものでしたが、立法による解決の機運が高まりました。そこで、立法を目指し、2000年に自民党、2002年には民主党で勉強会が開かれ、わたしも招かれ、国会議員や関係省庁の方々に、講義する機会も持ちました。幸い、2003年に、「性同一性障害者の性別の取扱いに関する特例法」が制定され、戸籍の性別変更の道が開かれました。そのように、どっぷり性同一性障害に取り組んでいた私ですが、実際に患者さんが受診できる医師、医療機関が乏しいこともあり、開業を決意した次第です。2008年に開業し、ちょうど10年になるところです。この間におよそ5000名ほどの性同一性障害・性別違和の方々を診療しています。
 

精神科を選んで良かったことは何だと思いますか?

 メリット、デメリットという観点から、精神科医を選んだわけではなく、ただ自分がすべき仕事だと思い、精神科医になっただけなので、答えが難しいところですが・・。人生の長期にわたって、患者さんを診ることが多いので、その人生の喜怒哀楽を共にする、というのが精神科医のひとつのモチベーションかもしれません。また、人間の精神活動という深く広大な海のような世界を探索できるのも、精神科医の醍醐味です。まあ私なんぞは、浅瀬をバシャバシャとシュノーケリングでのぞいている程度なのですが。
 

最後に、医学生、研修医の方へのメッセージをお願いします。

 性同一性障害というのは、特殊なジャンルのように思われるかもしれませんが、多様な一人ひとりの人間それぞれを尊重し、心理的、身体的、社会的に健康に生活できるように支援する、という医学の本質の詰まった分野です。また、家族関係の在り方、生殖倫理、意思能力、といった今日的問題に多くかかわる分野でもあります。しかし、性別違和を抱え、悩んでいる多くの人がいるにもかかわらず、診療する精神科医が少ないという現状があります。若い世代の皆様が、多く関心を持っていただけたらと思います。

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