30年ほど前、医者になって1ヶ月過ぎていただろうか、何のきっかけか教授と話す機会があった。あさはかにも精神分裂病(当時)はどうして難病指定とか公的援助が十分でないのかと尋ねてしまった。それはなあ、国に金がないからだという返事を頂いた。一方で精神科医療に国が金を出すのは強制的な事ばかりだという話もしてくださった気がする。
企業内診療所の精神科医などあまり人がやらないような仕事を含めて、いくつかの場所で臨床を経験してきた。若い頃、自分の勤務場所に依って臨床指標が異なっていた。総合病院の外来で、では入院しましょうと勧めるのと同じように単科の精神科病院で勧めることができずにいた。単科の病棟で入院してきた患者さんを待つと、やはり入院を辞めますと言われて申し訳ない気がした事が何度もある。自分の能力と考えていたが、そうばかりではないと思う。その場、その場でできることが違うのだろうと思うようになった。
自殺未遂でご家族に連れられ入院した方がある。事業が立ちゆかなくなり、借金に追われての自殺未遂であった。当然、入院しても借金は減らない。入院中に弁護士さんと相談して貰い、合理的な対処の方向を相談して退院となった。臨床場面では医療だけで解決できない場面に遭遇する。最近、ギリシャの自殺率が高くなったと報じられているように自殺率は経済状況と関連して変動しているようだ。自殺対策はうつ病対策ではないと口にしてきたが、精神科医にもできることはある。地域では弁護士さんや司法書士の方との会議を開いている。それぞれのユーザーの中に、自身の専門領域では気づかない解決策がありはしないかと模索している。何より、そういう相談をすることが可能な関係があることが重要と思う。背景には司法と医療と顔が見える関係ができていて相談可能なことが重要である。
従来から職域との関連が重要と考えてきたが、困った時に相談する先は職域ばかりでなく、切羽詰まった時には司法関係への相談も多いと思う。
精神科救急医療に関心が高まっている。結構なことだ。一方で精神科救急に自らアクセスする人は、時間外に薬がなくなったから来たなどと一般病院の救急窓口でいわれることと同じ事が起こっている。措置入院制度が治安目的でなく、不安定な精神病症状に迅速な対応を目的とした道具として、救急医療の充実が必要なことはいうまでもない。一般の救急医も精神科医の救急場面への参画を強く望んでいるようである。
とはいえ、求めにすべて応じることが可能であろうか。全て求めに応じることが望ましいこととも限らないし、制度疲労をきたさず実現可能な対応でなければ継続し得ない。精神科医はその絶対数が不足しているといわれている。しかも地域差が著しい。その中でそれぞれの立場で今できることを積み上げていかなくてはならないと思う。
精神科医療の閾値は相当に下がり、身近な存在になってきていると思う。その分、精神科医は医療だけでなく、我々の関わる人を取り巻く周囲の人と顔を合わせることの可能な関係を作っていかなくてはならないと思う。













