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コラム 精神科医が考えていること

『大分大学精神科の震災支援』

大分大学医学部精神神経医学講座
寺尾 岳

2011年3月11日に未曾有の大震災といわれる東日本大震災が発生しました。 大分大学精神科では、4月6日から6月4日にかけて塩月一平、花田浩昭、石井啓義、森永克彦、後藤慎二郎、 津留壽船の6名の助教をローテーションで岩手県久慈市野田村へ派遣しました。 彼らは、酒井教授の岩手医科大学こころのケアチームに参加する形で、大塚講師の指示を受け、 被災の爪痕が色濃く残る野田村で支援活動にあたりました。彼らが私に提出してくれたレポートを読むと、印象深い記事がたくさんありました。

たとえば、「不眠を訴える被災者の方がいました。 詳しく話を聞くと固い発泡スチロールの上に寝ており、敷き布団がないため安眠できないということでした。 そこで支援物資を保管してある体育館から敷き布団を集め、避難所に配ってまわりました。 敷き布団を届けたときの被災者の笑顔は忘れられません」(塩月)、 「被災者のサポートに尽力される方の中にも不調を生じる方がおられ、 そういった方ほど一見すると元気で自身の辛さを周囲に見せまいとしている方が多い様であり、 特に注意してフォローする必要があると感じました」(花田)、 「病院受診する方は何かしらこちらと話す気構えができていますが、避難所の方は決して診察を望んではいないこと、 隣人がすぐそばにいる状況で込み入った話はとてもできないことなどから、どう話しかけるかから悩みました。 血圧を測ったり、肩をもんだりしながら少しずつ話してくれるのをじっと待ちました」(石井)、 「統合失調症の20代前半の男性とその母親。男性は津波発生時にデイケアに行っていたので家族と離れ離れになりました。 男性は家族の身を案じて不安が募り、一時は入院しました。 その後、家族揃って同じ避難所に入所できる事になったため病状は軽快しました。 母親は、津波に足をとられながら必死に逃げた恐怖や、 避難所で物をもらう際に邪険に扱われた辛い思いなどを語って涙ぐんでいました」(森永)、 「医師に直接不調を訴えてくる被災者は皆無で、まずは保健師、 臨床心理士を中心としたメンバーが時にお茶を飲みながら世間話をするかのように被災者に寄り添い、話を傾聴しつつ状況を把握しており、 被災者の名前だけでその家族構成や住所、職業はおろか、<~(近隣の住人)と仲が良い>など、 細かい情報がサラサラと出てくるのには驚かされました」(後藤)、 「今回の活動地域(久慈地区)では自殺防止のプロジェクトとして、 既に市や村の保健師との定期的なカンファレンス、地区の民生委員との交流、 一般有志による<傾聴ボランティア>などの組織的な整備が数年前からなされていた事が効果を発揮したと考えられました。 そのつながりがそのまま震災支援の組織として機能していました」(津留)などです。彼らが、 「誰に、何を、どのように」医療支援させていただくのか、よくわからないなりに、 「観察し、工夫し、実践し、学んだ」姿が目に浮かぶようです。 これらの経験を通して彼らが少しでも現地の方々のお役に立てたとしたら、今回の派遣は成功であったと考える次第です。
最後になりましたが、亡くなられた方々やご遺族に心からお悔やみを申し上げ、被災地域の一刻も早い復興を祈念しております。