昔、若い頃、身体に軽い障害のある小柄なまだ初潮も来ていない少女の主治医になった。
幻聴が聞こえ、自分の事が皆に知られている、怖い、恐ろしいと言って泣き、
行動は全くまとまらず排泄もままならなかった。4か月前に発症し、周期的な経過をみせていた。
1か月前には、事情があって幼い頃養女になったという事を本人に告げ、
遠く離れて暮らしていた実家族と再会を喜び合ったという。
両親はそうした事情を話しながら、兄妹を引き離し1人を選んだという自分たちの行いは本当に良かったのだろうかと、
ずっと自問してきたと語った。
幻覚妄想状態は入院後も1カ月以上続き、その後も周期的に病像を繰り返したが、次第に病相期が短くなり間歇期がのびていった。
「幻聴が聞こえてくるとおかしくなってしまう。
先生、どうしたらいい?」と問うてくる表情は無垢で真剣だった。
5か月が過ぎ、退院の準備に病院からバスを乗り継いで通学することになった。
無理を承知で頼んでみたら病院で弁当を作ってくれ、寝坊な主治医は当てにならないと、看護婦さんが毎日バス停まで送迎してくれた。
後で、実は学校まで車でバスの後を追っていたと聞き、頭が下がった。
婦長さんはその時、「先生、あの子は行くと自分で決心したんや。
いい顔しとるわ」と教えてくれた。決心は学校へ行くことだけでなく、
運命を受入れ人生・社会へ一人で歩いて行くという決心なのだと、その健気な姿が物語っていた。
時を経て、あの親と子の覚悟と決意、そしてみんながそれぞれ力を出し合って医療が成り立つということに、ますます強く尊く思い至れるようになった。
今、私は福井県立病院こころの医療センターで働いているが、脳科学の展開は目覚ましく精神医学も確実に進歩しているのに、
それが現実的にどれほど治療成果をあげ、医療に恩恵をもたらしているだろうかと考える。
精神科医療の知識は増え、薬は格段に使いやすくなり、チーム医療の考えも浸透した。
しかし、精神科を受診する患者の激増と質的な変化(人々の考えが多様化し生活が複雑になり、
症状も変化し捉えにくくなったこと等)に、臨床の現場は十分に対応できているだろうか。
また、症例から教わり、その経験がまた診療に貢献するという実りある連環は、今も着実に培われ伝達されているだろうかと考える。
現状は、患者・家族の身勝手な要求は枚挙にいとまがなく、背景にある社会・経済的要因の増大に比べ支援の手は限られ
、働く者は時間を厳しく管理されているではないか。
そこで改めて思う。精神科医療は本来人間のレジリアンスを高めるものであり、だからこそ、精神科医療には人手と時間が必要なのだと。
人手も時間も有機的で重層的なつながりをもち、長期的な経過を通暁するものが必要なのに、
現状の医療制度は余りに未整備、不十分で、このままでは乖離はますます進むだろう。
だから今こそ、『精神疾患と心の健康のための基本法』(仮称)制定に向け、学会は主体的に取り組まなければならないのではないだろうか。













